ABOUT
わたしたちについて
アイデイの歩み
香港で花開いたバー文化をヒントに、
魅力に満ちたプレミアムスピリッツの輸入を開始。
アイデイの歩み
わたしたちの会社の基礎を築いた創業者の土居勲(ドイイサオ)は、1930年、20歳のときに大阪のネジ製造会社に就職。働きながら猛勉強した勲は、2~3年後に独立して立売堀(イタチボリ) に土居商店を立ち上げました。
ちなみにこの頃、勲は日産自動車の第1号モデル、ダットサンを購入しました。ダットサンはその後、日本のみならず海外でも親しまれるブランドになり、現在でも日産自動車を代表するクルマです。 今のわたしたちの新しくて魅力的なもの、後の世まで多くの人に愛されるものをいち早く見極める目は、初代から受け継がれたものだったのようです。
勲は三国にネジや鋲などを製造する工場をつくると、関東軍と取り引きして成功を収め、その後、満州に渡って現地で合弁会社を設立。自社ビルを5~7棟所有するまでに発展しましたが、敗戦と同時に接収され、失意の中日本に帰国しました。
帰国後、タクシー会社、建設会社などを経て、1972年に大阪市北区天満に株式会社アイデイプリントセンターを設立。翌73年にアイデイ商事に社名変更し、2009年より酒類販売業免許を取得し、本格的に酒類の取り扱いを開始しました。
日本で酒類販売業免許を取得する少し前から、わたしたちは香港でお酒の仕事に携わるようになっていました。
それまで香港にはパブのようなお店はあっても美味しいお酒を楽しめる本格的なバーはほとんどなく、香港島随一の繁華街ランカイフォンでさえ、頼むたびに濃さが違うジントニックが提供されるのが当たり前。ところが、2008年にワインの関税が撤廃(厳密にはアルコール度数30%以下が無税)されてからワインブームが起こり、これをきっかけにバー文化が花開き始めるのです。
ちょうどその頃、欧米では景気が悪化し、サービス業が打撃を受けて、多くのバーテンダーたちが英語圏であるシンガポールや香港に流入したのも、ブームに拍車をかけました。彼らにトレーニングされたローカルのバーテンダーたちは見る見るうちに力をつけていき、各段にレベルアップするという好循環が生まれたのです。
バーテンダーは、果物や野菜、ハーブなどを組み合わせてオリジナルカクテルをつくるミクソロジストへと進化し、日本でも銀座などのオーセンティックなバーでしか飲めないような美味しいカクテルが、香港の繁華街で提供されるようになったのは驚きでした。当時は香港も好景気で、おしゃれなバーが次々とオープンし、一気に街が華やいだのを覚えています。これに伴い、バーテンダーたちも使用するスピリッツやリキュールにこだわるようになりました。
トップミクソロジストとの幸運な出会い
そんなときに出会ったのが、ニューヨークのトップミクソロジストEben Freemanです。彼が香港随一の老舗ホテル、マンダリンオリエンタルに招かれてバートレーニングに来ているときに知り合う機会に恵まれ、わたしたちは彼から商品知識やバーテンダーのトレーニングを受けることができたのです。
彼のつくるカクテルは、それまでさまざまなカクテルを試してきたわたしたちにとっても衝撃でした。とてつもなく美味しい料理をいただいたときと同じくらいの感動と、「カクテルってこんなに美味しいんだ!」という感動。
美味しいカクテルの虜になったわたしたちは、この感動を皆にも届けたいという一心で原材料や製法にこだわったプレミアムスピリッツを中心に取り扱うようになりました。もちろん、それらの商品知識やトレンドは、Ebenから教えてもらったものです。
こうして日本でも本格的にプレミアムスピリッツを展開するようになったのですが、当初取り扱っていたのは、高級ホテルやオーセンティックなバーをターゲットとした商品ばかりでした。
「プレミアムスピリッツをもっと気軽に楽しんでほしい」と思っていたときに出合ったのが、「コカレロ」でした。プレミアムスピリッツは確かに高級で高価ですが、安いお酒を大量に飲むより、適量で楽しめて気持ちよく酔うことができる美味しいお酒は、文化成熟度の高い日本でこそ受け入れられると考えたのです。
とはいっても、コカレロは日本ではまったく知られていませんでしたから、なかなか酒販店にも置いてもらえません。そこでわたしたちは、2カ月かけて小規模のバーやラウンジを回り、懇切丁寧に商品説明を行ったことで、「面白い」「これは売れる」と共感してくださるお店を50軒ほど見つけることができました。その50軒の声を携えて酒販店との商談に臨み、ようやく取り扱ってもらえることになったのです。
これによってわたしたちは、各料飲店一軒一軒に自分たちでコカレロを配達する日々から、ようやく解放されました。コカレロは、このようにして最初の一歩を踏み出したのです。